菜根譚

身を持するには、はなはだ皎潔なるべからず、
一切の汚辱垢穢、茹納し得んことを要す、
人に与するには、はなはだ分明なるべからず、
一切の善悪賢愚、包容し得んことを要す

『菜根譚』より


最近衝撃を受けた言葉で、思わず私のメモ帳(ネタ帳)の一番最後のページに書き込んだ言葉で、「さいこんたん」と読みます

訳は

世渡りで身を保って行くには、あまり潔癖すぎてはならない。
一切の汚れや穢れも、すべて飲み込むようでありたい。
人と交わるには、あまり几帳面すぎてはならない。
一切の善人悪人、賢者愚者をも、すべて包容することができるようでありたい。


本当に上記の事が出来る人間は聖人ですよ。

でも、そう在りたいものです

一つの見た方だけに考えを固執し、多方面からの見方ができなくなったら終りです。

適切な判断が出来なくなり、それだけの人間になってしまう

以前から何度も何度も自分自身に言い聞かせているのですが、上手くいかないものですね。



そうそう。

まだ私が学生だった頃、あるニュース番組で国会議事堂の中を映していました

その時に、書籍を扱っているコーナーが映り、リポーターが担当の方に当時の議員さんの間では何が人気ですか?との質問をしていたのですが

担当の方は、「以前は論語などが売れていましたが、今は・・・」と、現役の議員さんが出されている書籍を手にしたのですよ。

確かに、勝つ為には敵の事を知らなければなりませんが、それ以前の課題として己の人格を磨く事を怠るのは如何なものだと思いました

大昔の考えや古臭い時代遅れな文献だと受け取るのは大きな間違いじゃないかなぁと。現代でも十二分に通用する文献は山のようにあるのにね。



 
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